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2010年1月28日 (木)

【語源エッセイ 1】すべての語源は音象徴に通ず?:streetの語源(究極編)

 多くの語源辞典ではstreetの語源はラテン語のstrataであるという記述で終わっています。しかしここではもう一歩踏み込んで、strataがどうして「舗装された」という意味なのかについて仮説を立ててみたいと思います。

 印欧祖語の語根*ster-からは多くの単語が派生していますが、strataもそのひとつです。*ster-から出た単語の多くは意味内容から大きく分けると、「動じないもの」と「ばらまく」のグループに分けられます。通常、strataは後者の仲間だと考えられています。なぜならば、舗装するというのは、砂利や小石を「ばらまいて」踏み固めるイメージがあるからです。

 しかし私はこれは間違いだと思うようになりました。ヨーロッパの旧市街で道路工事に出くわしたときのことです。その様子を観察していると、敷石のひとつひとつがガタガタ動かないようにできるだけぎっしりと詰め合わせるように、じつに整然と並べられていくのです。それもタイル状の薄い石板ではなく、分厚い立方体の石をぎっしり並べます。

Strata1_3 

Strata2_3 

 「すべての道はローマに通ず」というように、ローマ人は広大な帝国中に道路を張り巡らせることによって支配を確立しました。このローマ街道の作り方は、現在のヨーロッパ旧市街の石畳とほとんど同じ作り方だそうです。ローマ街道は砂利や瓦礫、小石、砂を何層にも重ね、表層部には分厚い立方体の石をまるで扇形の文様を描くようにびっしり敷き詰めたといいます。

 strataは個々の敷石が動かないようにぎっしりと敷き詰められた状態をいうのではないでしょうか。したがって、strataは英語のstare「凝視する」やstarve「餓死する」と同様に「動かない」を意味する語根*ster-から派生したと考えるべきだと思います。

 このように考えると語根の*ster-だけでなく、「立つ」という意味が想定されている*sta-も同じ表象性をもっているように思われてきます。この語根から派生しているstand「立つ」、station「駐在する」、stay「滞在する」などはすべて、「動かずにどっしりとその場にいる」という意味です。

 さて、ここで少し視点を変えてみましょう。strataは敷石がぎっしりと敷き詰められた状態でした。これは水平方向の作業です。じつは「動かない」を意味する語根*ster-からはほかにもstructure「構造」、construct「建設する」、destroy「破壊する」など「組み立てる」という意味内容をもった単語がたくさん派生しています。レンガなどをガタつかないようにぎっしりと積み上げる動作であると理解すればよいのです。つまり垂直方向の作業です。

 子供のころに「三匹の子豚」のお話を読んだとき、三番目の子豚が狼から身を守るためにレンガで家を造る絵が描かれていました。この絵を見て、西洋の家は日本とは違う建て方をするものだと感心した記憶があります。実際にヨーロッパの町中で建設現場を通り過ぎると、レンガをひとつひとつ積み重ねている様子を見ることができます。私なんかは日本人ですから、柱がないのに不安を覚えるのですが、西洋の家というのはそういうもののようです。

 語源辞典や語根辞典では語根*ster-*sta-を別々の見出し語として扱っています。しかしここまでの予想から、これらの語根は同一物で、*st-という子音群としてまとめ直したほうがより正しいように思えます。*st-という子音群には「動かない」という表象性があるのです。

 「動かない」という状態は音を伴うものではありませんが、これを人間の言語音でどうにかして言い表そうとします。これを音象徴(sound symbolism)といいます。ここでは視覚の回路から入力された現象を聴覚が介在する回路を経て出力しています。ということは、異なる種類の回路がアクティブになっているのでクロス・モーダルな神経作用が起きているといえそうです。共感覚(synaesthesia)という現象があります。たとえば、砂糖をなめたら緑色が見えるとか、温かいお湯に触ると酸っぱく感じるとか、このような感覚を経験するひとが実際にいます。もしかすると音象徴という人間の言語活動も一種の共感覚なのかもしれません。

 さて、日本語で*st-に相当する言い方はあるでしょうか。おそらくぴったり一致するものはないでしょうが、ここまで数回用いた「ぎっしり」とか「どっしり」という副詞がもっとも近いような気がします。さらには「びっしり」や「じっと」もそうかもしれません。これらの副詞に含まれる「し」や「じ」がとくにその表象性の中心だと思われます。

 つぎに*st-の表象に相当する漢字を探してみましょう。すると「主」とか「柱」「注」、「駐」が思い浮かびます。「主」は家の中で「どっしり」と動かない存在ですし、「柱」がガタつくようでは家はもちません。それに水を注ぐときには手元は「じっと」していなくてはこぼれます。「駐」もひとどころに「じっと」していることです。「主」という漢字の昔の音は「シュ」ではなかったかもしれませんが、それでも「シュ」に近い音であったと思われます。これが印欧祖語の*st-に相当するのだと思います。

 印欧語根の*st-と漢字の「主」が同一物であったということはできませんし、証明することもできません。しかし互いに「相当」するものであると考えるだけで充分ではないでしょうか。なぜならばヒトの脳は印欧語族も古代のシナ人もみんな共通のはずですから、よく似た現象をよく似た音で表象することはありえます。

 人間のすべての単語ではないにしても、突き詰めてみれば音象徴にもとづいて作られた単語はたいへん多いのではないかと思います。

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コメント

日本語は擬音(声)語、擬態語が生きていて、そういう意味では言霊が幸っている感じがします。

「うめく」、「わめく」は「ウッ」、「ワッ」という音に、「きらめく」は「キラキラ」という擬態語に由来すると思いますが、擬音、擬態をひっくるめた上位概念を表す言葉はあるのでしょうか?

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