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2010年1月

2010年1月29日 (金)

【エクスカージョン 1】 川一本隔てただけで、あるいはストラスブールは理不尽な町

 ストラスブールの語源にふれたついでにこの町を訪ねたときの「理不尽さ」について記してみます。

 いまから10年ほど前にドイツのクリスマスマーケットのすばらしさに気づかせてくれたドイツの老婦人が今回、ストラスブールのクリスマスマーケットもすばらしいと勧めて下さいました。それまでストラスブールを訪ねる予定はなかったのですが、お仕事の息抜きにドイツを出てみることにしました。なにせライン川を隔てた隣国なのですから行かない手はありません!

Strasbourg2_4 

 ストラスブールはアルザス地方の町。Alsace(ドイツ語でElsass)は英語で「ほかの」を意味するelse (Cannonball AdderleySometin’ Elseelse) と同語源で、「べつの場所」すなわち「向こう側」を意味します。どちらから見て向こう側かといえば、この地名はゲルマン系の単語であることからして、やはりドイツ側から見て「ライン川の向こう側」という意味なのでしょう。

 またアルザスといえば、フランスの作家ドーデーの『最後の授業』を思い出します。19世紀後半の普仏戦争でドイツが勝った結果、アルザス・ロレーヌ地方がドイツに併合され、そのために村の小学校では最後の「国語」の授業が行われる・・・というお話でした。ところがこの「国語」とは何語なのか、という問題はあまり気づかれたことがないようです。ものの本によれば、現地でいう「国語」とはフランス語ではなくアルザス語であったそうです。だとすれば、アルザス語はドイツ語の方言ですから、戦争の結果、「国語」がドイツ語の方言からドイツ語へと変わったというのが実体のようです。もちろん人々の国籍はフランスからドイツへと変わるのですが。

 以上のような予備知識があったもので、アルザスとはどんなところだろうと想像をふくらませながらシュトゥットガルトからパリ行きのTGVに乗り込みました。近年、TGVの東ヨーロッパ線が開通し、TGVはパリ東駅からストラスブール経由で南ドイツを走り抜け、ミュンヘンまで乗り入れているのです。東ヨーロッパ線といっても、なにもルーマニアやブルガリアまで乗り入れているわけではありません。

 ふだんドイツ鉄道(DB)のインターシティーエクスプレス(ICE)に乗り慣れているためか、フランス国鉄(SNCF)TGVは車両がいくぶん狭いものの、内装などがなるほどおしゃれにできていると感心していたところへ車内放送が始まりました。耳を澄ませば、フランス人とおぼしき車掌さんがドイツ語で案内しているではありませんか。私にとってそれはありがたいのですが、そのドイツ語がなんともフニャフニャしていて、思わずほほえんでしまいました。

 その昔、桂文珍師が京都と大阪を結ぶ阪急電車と京阪電車の車内放送の比較なるものを、巧みな誇張を織り交ぜて披露しておられましたが、京阪の車掌さんの話しぶりが少し鼻にかかるだけでなく、Wがかってもいるその特徴をもののみごとに描いていて、爆笑したことを思い出しました。TGVも「京阪」状態でした。30年以上も前のことなのに、くだらぬことは覚えているものです。

 さて、列車はすでにカールスルーエを過ぎて、まもなくライン川を渡ります。川の向こうはおフランス。「ふらんすへ行きたし・・・。」はて、どんなにか美しい風景が・・・などと予想していたら、実際はちょっとした工業地帯にかかる薄汚れた鉄橋で、その向こうにはフランスの三色旗がはためいているだけでした。これでは和泉多摩川の河原の方がまだしもきれいだなどと思いながら、気がつけば「ふらんす」に入っていたのです。

 ストラスブールの駅に降りてまず目に飛び込んできたのは駅構内にあるパン屋さん。なんとPAULではありませんか!これならニコタマの高島屋でしょっちゅう買っているし、北千住のマルイにも入っている、などと思うと、なんだか溜息が出たりして、やれやれという感じでした。日本という国はなんという国なんでしょう。

 しかしシェンゲン・エリア内での移動はいたって簡単。パスポートコントールはないし、おまけに通貨は共通のユーロですから外国へ来たという感じがまったくしません。それでもせっかくフランスへ来たものだから、フランスを感じてみたいという妙な欲求がわき起こり、駅前で見つけたクリスマスマーケット(マルシュ・ドゥ・ノエル)特設案内所でマーケットの地図をもらう際に、「エディシオン・アルマーニュ オーダー エディシオン・アングレーズ ビッテ」といってしまった途端、顔面が赤くなるのに気づきました。できないことはやってはいけません。「オーダー」と「ビッテ」はドイツ語でした!怪訝な顔をしたお姉さんから地図を受け取り、最後には「サンキュー」なんて忘れかけていた英語が出たりして、まるでわけのわからぬストラスブール入りでした。言語混乱もいいところです。「国語」の授業を受けたいところでした。しかし、川一本隔てただけで、日本では味わえない理不尽さ。川崎市に行くのとはえらいちがいです。

 クリスマスマーケットは町中のいくつかの広場で開催されていますが、やはり中心となるのはノートルダム大聖堂前の広場。ドイツ風の木組みの家を背景に所狭しと屋台が建ち並んでいました。これで焼きソーセージ(ブラート・ブルスト)さえ売っていれば、まるでドイツです。そういえば、ちょうどときを同じくしてストラスブールの「マルシュ・ドゥ・ノエル」が東京国際フォーラムで再現されているとのこと。目の前には世界各国からやってきた観光客があふれかえっているのに、東京へはこのマルシュが出向くなんて・・・。日本という国はなんという国なんでしょう。

Strasbourg1_2 

 そんなことを考えているうちにお腹が減ってきたもので、レストランへ入りました。メニューを見て、一瞬あせってしまいました。フランス語ばっかり・・・、と思いきや下の方にドイツ語が小さな文字で書かれているではありませんか(英語はなし)。さすがはアルザス!

 せっかくなのでアルザス郷土料理をいただきましょう。お料理の名前はよく聞くと納得するものが多く、シュークールト(Choucroute)はザウアー・クラウト(Sauerkraut)のことですし、ベックオフ(Bäkeoffe)Bäkersofen(パン屋のオーブン)、またケーキのクグロフ(Kugelhopf)はボール(Kugel)のような形をした頭巾(Hopf)に煮た焼き型を使ったブリオッシュです。いずれの名前もさすがにドイツ語よりも柔らかい響きです。

 ということで注文したのがベックオフとアルザス・ワインのゲヴュルツトラミネール(Gewürztraminer)。ベックオフは厚手の陶器でできたお鍋の中でビーフ、ポーク、ラムのお肉とスライスしたポテトを白ワインとともに一晩煮込んだもの。一見したところ、ドイツでもありそうだと思ったのですが、これがなんと塩加減がちがう、ドイツとは。それからゲヴュルツトラミネールの強いアロマ。濃厚なグレープフルーツのアロマが口いっぱいに広がります。名前の通り、たいへんスパイシー(gewürzig)でした。それにしても川一本隔てただけでどうしてこんなにお味がちがうのか。なんとも理不尽な現実でした。

 ワインがすっかりまわり、お腹もいっぱいになったので早めにホテルへ戻ります。あとで思い出したのだけれど、アルザスは腕利きのパティシエをたくさん輩出しているところ。あのピエール・エルメ氏もそうでした。キャフェに立ち寄っておけばよかった・・・、などと思ってもそれは後の祭りでした。

2010年1月28日 (木)

【語源エッセイ 1】すべての語源は音象徴に通ず?:streetの語源(究極編)

 多くの語源辞典ではstreetの語源はラテン語のstrataであるという記述で終わっています。しかしここではもう一歩踏み込んで、strataがどうして「舗装された」という意味なのかについて仮説を立ててみたいと思います。

 印欧祖語の語根*ster-からは多くの単語が派生していますが、strataもそのひとつです。*ster-から出た単語の多くは意味内容から大きく分けると、「動じないもの」と「ばらまく」のグループに分けられます。通常、strataは後者の仲間だと考えられています。なぜならば、舗装するというのは、砂利や小石を「ばらまいて」踏み固めるイメージがあるからです。

 しかし私はこれは間違いだと思うようになりました。ヨーロッパの旧市街で道路工事に出くわしたときのことです。その様子を観察していると、敷石のひとつひとつがガタガタ動かないようにできるだけぎっしりと詰め合わせるように、じつに整然と並べられていくのです。それもタイル状の薄い石板ではなく、分厚い立方体の石をぎっしり並べます。

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Strata2_3 

 「すべての道はローマに通ず」というように、ローマ人は広大な帝国中に道路を張り巡らせることによって支配を確立しました。このローマ街道の作り方は、現在のヨーロッパ旧市街の石畳とほとんど同じ作り方だそうです。ローマ街道は砂利や瓦礫、小石、砂を何層にも重ね、表層部には分厚い立方体の石をまるで扇形の文様を描くようにびっしり敷き詰めたといいます。

 strataは個々の敷石が動かないようにぎっしりと敷き詰められた状態をいうのではないでしょうか。したがって、strataは英語のstare「凝視する」やstarve「餓死する」と同様に「動かない」を意味する語根*ster-から派生したと考えるべきだと思います。

 このように考えると語根の*ster-だけでなく、「立つ」という意味が想定されている*sta-も同じ表象性をもっているように思われてきます。この語根から派生しているstand「立つ」、station「駐在する」、stay「滞在する」などはすべて、「動かずにどっしりとその場にいる」という意味です。

 さて、ここで少し視点を変えてみましょう。strataは敷石がぎっしりと敷き詰められた状態でした。これは水平方向の作業です。じつは「動かない」を意味する語根*ster-からはほかにもstructure「構造」、construct「建設する」、destroy「破壊する」など「組み立てる」という意味内容をもった単語がたくさん派生しています。レンガなどをガタつかないようにぎっしりと積み上げる動作であると理解すればよいのです。つまり垂直方向の作業です。

 子供のころに「三匹の子豚」のお話を読んだとき、三番目の子豚が狼から身を守るためにレンガで家を造る絵が描かれていました。この絵を見て、西洋の家は日本とは違う建て方をするものだと感心した記憶があります。実際にヨーロッパの町中で建設現場を通り過ぎると、レンガをひとつひとつ積み重ねている様子を見ることができます。私なんかは日本人ですから、柱がないのに不安を覚えるのですが、西洋の家というのはそういうもののようです。

 語源辞典や語根辞典では語根*ster-*sta-を別々の見出し語として扱っています。しかしここまでの予想から、これらの語根は同一物で、*st-という子音群としてまとめ直したほうがより正しいように思えます。*st-という子音群には「動かない」という表象性があるのです。

 「動かない」という状態は音を伴うものではありませんが、これを人間の言語音でどうにかして言い表そうとします。これを音象徴(sound symbolism)といいます。ここでは視覚の回路から入力された現象を聴覚が介在する回路を経て出力しています。ということは、異なる種類の回路がアクティブになっているのでクロス・モーダルな神経作用が起きているといえそうです。共感覚(synaesthesia)という現象があります。たとえば、砂糖をなめたら緑色が見えるとか、温かいお湯に触ると酸っぱく感じるとか、このような感覚を経験するひとが実際にいます。もしかすると音象徴という人間の言語活動も一種の共感覚なのかもしれません。

 さて、日本語で*st-に相当する言い方はあるでしょうか。おそらくぴったり一致するものはないでしょうが、ここまで数回用いた「ぎっしり」とか「どっしり」という副詞がもっとも近いような気がします。さらには「びっしり」や「じっと」もそうかもしれません。これらの副詞に含まれる「し」や「じ」がとくにその表象性の中心だと思われます。

 つぎに*st-の表象に相当する漢字を探してみましょう。すると「主」とか「柱」「注」、「駐」が思い浮かびます。「主」は家の中で「どっしり」と動かない存在ですし、「柱」がガタつくようでは家はもちません。それに水を注ぐときには手元は「じっと」していなくてはこぼれます。「駐」もひとどころに「じっと」していることです。「主」という漢字の昔の音は「シュ」ではなかったかもしれませんが、それでも「シュ」に近い音であったと思われます。これが印欧祖語の*st-に相当するのだと思います。

 印欧語根の*st-と漢字の「主」が同一物であったということはできませんし、証明することもできません。しかし互いに「相当」するものであると考えるだけで充分ではないでしょうか。なぜならばヒトの脳は印欧語族も古代のシナ人もみんな共通のはずですから、よく似た現象をよく似た音で表象することはありえます。

 人間のすべての単語ではないにしても、突き詰めてみれば音象徴にもとづいて作られた単語はたいへん多いのではないかと思います。

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