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2010年3月 2日 (火)

【エクスカージョン 2】 彼らは何故にこの島へ、あるいは古くて新しいアイスランド

 それはオークニー諸島だったかもしれないしシェトランド諸島だったかもしれない。けれど、少なくともグリーンランドが発見されるまでは。アイスランドもUltima Thuleのひとつであったことはまちがいない。

 アイスランドへはいまならオスロから約3時間の空の旅。英語の語源をたどっているとしばしば出くわす古ノルド語はかつてヴァイキングが話していたことばである。ひとことでヴァイキングといっても、この島へやってきたのはノルウェー人だけでなくスコットランド人なども含まれていたようだ。それにしても彼らは何故にスカンジナヴィアから北の果てのアイスランドまで移動したのか。イベリア半島から地中海へ入れば雲ひとつない空の下、紺碧の海が広がるのに、彼らは何故にこの島へやってきたのか。ナポリやシチリアに住みついた同胞もいるというのに。それにしてもなぜ北極圏にほど近い無人島へ。

 分厚い雲を突き抜けて飛行機が着陸態勢に入ったとき、窓の下を見て我が目を疑った。こんな土地があるものか。B737ではウサギが餅つくあの星へ行けるはずもないのはわかっていたけれど、それでも思わずにはいられない、ここは月面ではないのか。

Iceland1_2 

 ケフラヴィク空港からレイキャヴィクまでの道のりは、あたり一面冷えて固まった黒い溶岩とその表面をかすかに覆うコケの緑。山といっても巨大な土塊で、ほとんど樹木はない。そのような大地と鉛色の空をつなぐかのように、ところどころ地面から煙が立ち上る。古ノルド語の詩に赤く燃えるマグマを思わせる行があったのを覚えている。あれは民族の遠い記憶ではない。あれは足元のリアリティーなのだ。レイキャヴィクという町の名もReykja-はドイツ語のRauchにあたるから「煙立つ入り江」という意味である。

Iceland2 

 その地理的要因もあって、この島がキリスト教に改宗するのは遅く、10世紀の末である。それまでの間、ゲルマンの異教が根付いていたはずである。火山から吹き出すマグマ、水蒸気と熱湯、巨大な滝、地面の割れ目、この島ほど神々の存在をリアルに感じされるところもなかったであろう。

 この島は、地質年齢でいえばまだ若い。若さの秘密は地面の下。ちょうどこの島の地下深くでユーラシア大陸プレートと北米大陸プレートが生成され、上昇し、東西に分かれゆくという。おかげでこの島は東西方向に年間で約1センチずつ広がっているのである。プレートの境界が断層となって地表に現れ出ているところは世界でたった三カ所だそうで、そのひとつがアイスランドを真二つに分けるgjár、すなわちgapのことである。とにかくこの島では今なお大地が生成されている。大地が若い所以である。

Iceland4  小川が流れる絵のように美しい谷間に巨大な断層が壁をなしている。この壁の前で話すと声が反響して遠くまで伝わることを10世紀初めの人々は知っていた。ここが民会(þing)発祥の地、シングヴェルリル(Þingvellir, “thing valley”)である。おそらく夏の間の一時期に、島の津々浦々から人々が集まり、各種案件(þing)を相談していったのであろう。レイキャヴィクにある国会はいまもAlþing (the whole assembly)という。

 もうひとつ英語に入っていることばにふれておこう。アイスランドには間欠泉も多いが、そのうちのひとつGeysirが一般名詞として英語に入ったのがgeyserである。アイスランド語から入った数少ないことばである。

Iceland3 

 若い大地の上に残っていることばは古い。なぜならば、ヴァイキングがこの島に移住しはじめたのは9世紀末からであるが、それ以来この島が孤島であるがゆえに他国との接触が少なく、外的要因による言語変化をあまり被っていないという。したがって、ルーン文字に由来するthorn (þ)ash (æ)の使用に象徴されるように、書かれたアイスランド語を見ていると、古英語に目が慣れた人間には少しは類推がきくところが面白い。(さらに面白かったのは、アイスランドの帰途、コペンハーゲンに立ち寄ったところ、アイスランド語の印象が残る目にはデンマーク語はかぎりなく英語に近く見えた。)

 それにしてもゲルマン語の純度が高いアイスランド語とロマンス系の語彙を大量に採り入れた英語のたどった道のりは対照的であるが、なにかただならぬ因縁をも感じさせる。英語をクレオール化してゲルマン的な特徴を薄めてしまったのはアルフレッド大王たちを悩ませたデーン人であったし、その後ノルマンディーからやってきた征服者はフランス化したヴァイキングであった。彼らがもたらしたおびただしい数のフランス語のおかげで本来語が駆逐されてしまった。その一方で、英語をゲルマン語らしくなくさせてしまったヴァイキングのことばはいまもなおアイスランドに1000年前とほとんど同じ姿で残っている。

 レイキャヴィクの町はどこかヨーロッパの町とはちがう。石畳に覆われた旧市街がないのである。ほとんどの建物は戦後になってから建築資材を海外から運び入れて建てたものである。どちらかといえばレイキャヴィクはヨーロッパの町というよりはアメリカの田舎町を思わせる。そんな町に今日も群れなして歩くのはアメリカ人。首からパスポート入れを提げたおばあちゃんたちが陽気に大声でしゃべりながら先祖の足跡をたどっている。ここはアメリカにもっとも近いヨーロッパなのだ。

 ヴァイキングはさらに西進した。北西300キロ先のグリーンランドへ到達したとき、アイスランドはUltima ThuleからThuleへと変わった。1000年頃にはグリーンランドを経由してカナダのニュー・ファンドランドあたりまで達していたという。コロンブスが新大陸を「発見」するよりも500年も前のこと。

 ヴァイキングは何故に移動を繰り返すのか。魂の衝動に突き動かされたのであろうか。この古くて新しい島で自然に圧倒されながら、そんなことを考える4日間であった。

 月面へ着陸したニール・アームストロングは先祖にドイツ人とスコットランド人、そしてアイルランド人の血が混ざっているということを、知ったのはドイツへ戻ってからのことであった。

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コメント

なるほど、アイスランドには、そういう文化や歴史があるのですね。

レイキャヴィクが、ヨーロッパの街というより、アメリカの街を思わせる、というのは初めて知りました。

いろいろためになります。

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