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2010年5月

2010年5月16日 (日)

【エクスカージョン 4】 2つのヨーロッパ、あるいは明るく暗いラテン

 かつてイタリアはトスカーナ、ピサのガリレオ・ガリレイ空港に降り立ったときのことはいまでも忘れられません。とにかく眩しい。まるで40ワットの部屋から突然100ワットの部屋へ入ったかのように眩しい。ただそれだけのことなのですが、このときヨーロッパには2つの世界があることを実感しました。

 当時ロンドン大学で論文作成に取り組んでいた私は雨の日も曇りの日も、そして霧の日も古英語の文献を読みふける毎日でした。散文も読みましたし韻文も読みました。古英語の韻文は他のゲルマン諸語と同じく頭韻詩の形式で書かれています。頭韻とは各行のなかのいくつかの単語が同じ音ではじまります。現代の英詩のほとんどは脚韻ですから行末の音が揃っているのに対し、頭韻は各単語の語頭音が韻を踏みます。ほとんどの行では同じ音をもつ単語が3つ用いられます。ですから声に出して読むと、同じ音がさながら波のように後から後から押し寄せる、そんなリズムのうねりが積み重なって語りが進んでいきます。

 論文作成のほかの息抜きといえば演奏会通いで、そこはロンドン。サウス・バンクやバービカン・センターでは毎晩のようにすばらしいプログラムが用意されていました。好んで聴いた音楽はやはりドイツ系の音楽が中心でした。書斎の中でも外でもそうすることによって滞在中はできるかぎりヨーロッパの、もっとはっきりいえばゲルマンの空気を吸い込もうとしていました。

 ロンドン・ガトウィック空港を飛び立つと飛行機は約30分でパリ市上空にさしかかります。窓の下には曲がりくねったセーヌ川。河岸には模型のようなエッフェル塔が置かれていました。そこからさらに飛行機は南下します。すると今度は三日月型の湖が見え始めました。ジュネーヴのレマン湖です。このあたりから地形は急に険しくなり、残雪で真っ白のアルプスの山々がさながら大地の皺のように盛り上がっています。そして皺もふたたびなだらかになるとその先には明るい平原が広がっていました。イースター明けのレモンの花咲くイタリアです。ふと進んできた方向を振り返ると、アルプスという名の巨大な屏風の陰が北側一面を覆っていました。そして空港へ降り立つと100ワットとなるのですが、これはロンドンから来たからこそ感じられることだったのかもしれません。かりに東京から直接イタリアへ来ていれば、それほど強い印象は残らなかったはずです。なぜならば東京とローマはほぼ同緯度にあるからです。

 とにかくフィレンツェのルネサンス文化もローマの古代遺跡も、すべて太陽の下で育まれた文化であることがよくわかりました。トマトは真っ赤で、レモンは真っ黄色で、ラテンは明るいというのがそのときの了解事項でした。ごくありきたりではあるけれども五官で感じた了解事項でした。

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 二軸ボギー台車の上に黄色い箱を載せただけのようなかわいらしい路面電車が急な坂道をガタゴトと登りきったところにシアド地区がありました。この界隈の裏通りには日が落ちると看板に薄明るい電灯がともり、そこがカーサ・ド・ファドであることを教えてくれます。イタリアで地中海世界の明るさに納得してから10余年ほどして今度はリスボンでまったく逆の体験をしてしまいました。

 思わず「暗いっ」と心のなかで叫んだのは歌がはじまってから何秒も経たないうちでした。目の前の歌手はまさにお腹の底から情念を吐き出すかのようにことばを紡いでいきます。それもところどころ小節をきかせながら自分の運命を呪っていたのかもしれません。ファド(fado)とはポルトガル語で「運命」(fate)を表すことばだそうです。

 振り返ってみれば、これまでもラテン的な明るさのすぐそばにあるアンバランスな陰の部分が少しは気にはなっていました。それはセリア・クルースの歌うサルサに身を揺らせていたとき、アストル・ピアソラのアルゼンチン・タンゴやアマリア・ロドリゲスの古い録音を聴いていたときでした。軽快なルンバのリズム(これは黒人がもたらしたものですが)に載っているのは短調のメロディー。華やかな踊りのうしろに流れるのはやはり短調のメロディー。そしてキラキラしたポルトガル・ギターに合わせて歌われるのも美空ひばりを見紛うばかりの悲しき旋律。

 じつはラテンの世界には目にもまばゆい明るさとどろどろした暗さが共存しているようです。みごとなコントラストをなして共存しています。昔ならばプッチーニ、そして現在ならばモリコーネの紡ぎ出すメロディーは青空の下で飲むレモンチェッロのように甘美な響きで聴く者をとろけさせます。その一方で映画『ゴッド・ファーザー』の冷酷さときたら見る者の背筋を凍らせます。

 ラテン世界に共存する明るさと暗さに通底するもの。それはあまりにストレートなところです。アルプスの南側に住む人々は喜怒哀楽をストレートに表現します。感情表現の輪郭がはっきりしているその姿は、じつは彼らの生きる世界そのものなのかもしれません。イタリアにかぎらず地中海世界全体がそうなのでしょう。その世界というのは光強ければ影もまた濃しということばそのものの世界です。熱帯地方に生きる魚も昆虫も花も、すべて色鮮やかです。南ヨーロッパは熱帯とまではいかないものの、それでも陽光降り注ぐ世界です。色鮮やかな世界を五官で感じている人々は、やはり色鮮やかなものを生み出すのでしょう。彼らにとっては赤といえばトマトの赤で、それがアルファロメオの赤になり、黄色といえばレモンの黄色で、それがフェラーリの黄色になるのです。コートダジュールの海の青さはシャガールの青でした。感情をはっきり表現する外向的な性格もまた地中海世界の産物です。

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 ひるがえってドイツの森を歩いていると、頭上を覆う深い緑も足元に積もる柔らかい枯れ葉も、それはクリムトの緑であり茶色です。抽象画でもクレーとミロの色彩の違いはまさにアルプスの屏風の北側と南側の違いです。フェルメールの絵にはいつも窓からか弱い日の光が差し込んでいます。

 そのようなか弱い光の下ではひとは内向的にならざるをえないのでしょう。感情をストレートに表現するというよりは、なにか精神の奥深く奥深くへと向かっていきます。背日性の植物が路地の奥の方へ伸びていくように、アルプスの北側の人々は精神の奥底へと突き進んでいくのです。

 神様は日向にも日陰にもおられるのでしょうが、ゲルマンの精神はそんなわけで抽象世界のなかに神を求めてしまいます。それは白木の柱をしっかりと組み合わせて天の高みをめざすバッハの音楽であり、寄せては砕ける波を背中に受けながら聴く者を至高の世界へと駆り立てていくベートーベンの音楽です。とくにベートーベンはジェットコースターのようなスリルを経験させながら暗闇の中われわれをドライブしていきます。そしてそのぶん緩楽章の穏やかさはフェルメールの日の光のごとくほのかな暖かみを与えてくれるのです。『運命』や『第九』の例を出さずとも『ヴァルトシュタイン』の出だしを聴くだけで充分です。

 このように考えると、ベートーベンよりも時代は少し前ですが、モーツァルトの音楽はかなりイタリア的といえます。低地地方の血が入っているベートーベンとアルプスの麓で生まれ育ったモーツァルトの違いはここにあるのかもしれません。ウィーンをはじめ、同じドイツ語圏でもアルプスに近いところでは山の裏側のイタリア風の味覚や音楽がたくさん入り込んでいます。

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 いまから20年近く前、恩師の恩師にあたるカール・シュナイダー博士が古英語の叙事詩『ベオウルフ』の朗唱を録音して下さいました。それを聴くと、繰り返しあらわれる子音がうねりとなって聴く者をゲルマン英雄詩の世界へと誘います。ことばも自然がそこに住む人間に与えたものだとすれば、子音で終わる閉音節の多いゲルマン語の頭韻詩はベートーベンの音楽に連なります。これに対してイタリア語は母音で終わる開音節が多く、自ずと聴く耳に明るく響きます。とくに脚韻詩ですと明るい印象が耳に残ります。

 映画『タイタニック』のテーマソングをサラ・ブライトマンがイタリア語で歌っています。セリーヌ・ディオンの英語版オリジナルと聞き比べると同じ曲でもじつに印象が変わるものです。編曲が違うとはいえ、ことばが与える印象はたいへん大きいと思います。人間がもつ世界に対する認識はつねにことばによって裏付けられています。裏付けられているというよりは、認識とことばは表裏一体の関係です。なにごとも鮮明に見える世界では音声を含め、あらゆる表現形式がくっきりし感覚に訴えかけるのに対し、光の少ない世界では精神は緊張と抑制のなかで抽象へと向かいます。認識とはなにかという問題に対しても極限まで考え抜いたのはカントのようなドイツ系の哲学者です。

 ヨーロッパには2つの世界があることは事実です。そしてアルプスの南側へ足を踏み入れると、逆にアルプスの北側のことがよく見えてくるような気がします。

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