文化・芸術

2011年11月12日 (土)

本になりました

 「英語語源検定」が装いをあらたにして本になりました。その名も「英語の歴史探訪-ことばと民族の歴史を訪ねて」(大修館書店)です。クイズ形式はなくなりましたが、語源の解説がかなり整理されました。
A2
いちど手にとってご覧下さい。


2010年5月16日 (日)

【エクスカージョン 4】 2つのヨーロッパ、あるいは明るく暗いラテン

 かつてイタリアはトスカーナ、ピサのガリレオ・ガリレイ空港に降り立ったときのことはいまでも忘れられません。とにかく眩しい。まるで40ワットの部屋から突然100ワットの部屋へ入ったかのように眩しい。ただそれだけのことなのですが、このときヨーロッパには2つの世界があることを実感しました。

 当時ロンドン大学で論文作成に取り組んでいた私は雨の日も曇りの日も、そして霧の日も古英語の文献を読みふける毎日でした。散文も読みましたし韻文も読みました。古英語の韻文は他のゲルマン諸語と同じく頭韻詩の形式で書かれています。頭韻とは各行のなかのいくつかの単語が同じ音ではじまります。現代の英詩のほとんどは脚韻ですから行末の音が揃っているのに対し、頭韻は各単語の語頭音が韻を踏みます。ほとんどの行では同じ音をもつ単語が3つ用いられます。ですから声に出して読むと、同じ音がさながら波のように後から後から押し寄せる、そんなリズムのうねりが積み重なって語りが進んでいきます。

 論文作成のほかの息抜きといえば演奏会通いで、そこはロンドン。サウス・バンクやバービカン・センターでは毎晩のようにすばらしいプログラムが用意されていました。好んで聴いた音楽はやはりドイツ系の音楽が中心でした。書斎の中でも外でもそうすることによって滞在中はできるかぎりヨーロッパの、もっとはっきりいえばゲルマンの空気を吸い込もうとしていました。

 ロンドン・ガトウィック空港を飛び立つと飛行機は約30分でパリ市上空にさしかかります。窓の下には曲がりくねったセーヌ川。河岸には模型のようなエッフェル塔が置かれていました。そこからさらに飛行機は南下します。すると今度は三日月型の湖が見え始めました。ジュネーヴのレマン湖です。このあたりから地形は急に険しくなり、残雪で真っ白のアルプスの山々がさながら大地の皺のように盛り上がっています。そして皺もふたたびなだらかになるとその先には明るい平原が広がっていました。イースター明けのレモンの花咲くイタリアです。ふと進んできた方向を振り返ると、アルプスという名の巨大な屏風の陰が北側一面を覆っていました。そして空港へ降り立つと100ワットとなるのですが、これはロンドンから来たからこそ感じられることだったのかもしれません。かりに東京から直接イタリアへ来ていれば、それほど強い印象は残らなかったはずです。なぜならば東京とローマはほぼ同緯度にあるからです。

 とにかくフィレンツェのルネサンス文化もローマの古代遺跡も、すべて太陽の下で育まれた文化であることがよくわかりました。トマトは真っ赤で、レモンは真っ黄色で、ラテンは明るいというのがそのときの了解事項でした。ごくありきたりではあるけれども五官で感じた了解事項でした。

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 二軸ボギー台車の上に黄色い箱を載せただけのようなかわいらしい路面電車が急な坂道をガタゴトと登りきったところにシアド地区がありました。この界隈の裏通りには日が落ちると看板に薄明るい電灯がともり、そこがカーサ・ド・ファドであることを教えてくれます。イタリアで地中海世界の明るさに納得してから10余年ほどして今度はリスボンでまったく逆の体験をしてしまいました。

 思わず「暗いっ」と心のなかで叫んだのは歌がはじまってから何秒も経たないうちでした。目の前の歌手はまさにお腹の底から情念を吐き出すかのようにことばを紡いでいきます。それもところどころ小節をきかせながら自分の運命を呪っていたのかもしれません。ファド(fado)とはポルトガル語で「運命」(fate)を表すことばだそうです。

 振り返ってみれば、これまでもラテン的な明るさのすぐそばにあるアンバランスな陰の部分が少しは気にはなっていました。それはセリア・クルースの歌うサルサに身を揺らせていたとき、アストル・ピアソラのアルゼンチン・タンゴやアマリア・ロドリゲスの古い録音を聴いていたときでした。軽快なルンバのリズム(これは黒人がもたらしたものですが)に載っているのは短調のメロディー。華やかな踊りのうしろに流れるのはやはり短調のメロディー。そしてキラキラしたポルトガル・ギターに合わせて歌われるのも美空ひばりを見紛うばかりの悲しき旋律。

 じつはラテンの世界には目にもまばゆい明るさとどろどろした暗さが共存しているようです。みごとなコントラストをなして共存しています。昔ならばプッチーニ、そして現在ならばモリコーネの紡ぎ出すメロディーは青空の下で飲むレモンチェッロのように甘美な響きで聴く者をとろけさせます。その一方で映画『ゴッド・ファーザー』の冷酷さときたら見る者の背筋を凍らせます。

 ラテン世界に共存する明るさと暗さに通底するもの。それはあまりにストレートなところです。アルプスの南側に住む人々は喜怒哀楽をストレートに表現します。感情表現の輪郭がはっきりしているその姿は、じつは彼らの生きる世界そのものなのかもしれません。イタリアにかぎらず地中海世界全体がそうなのでしょう。その世界というのは光強ければ影もまた濃しということばそのものの世界です。熱帯地方に生きる魚も昆虫も花も、すべて色鮮やかです。南ヨーロッパは熱帯とまではいかないものの、それでも陽光降り注ぐ世界です。色鮮やかな世界を五官で感じている人々は、やはり色鮮やかなものを生み出すのでしょう。彼らにとっては赤といえばトマトの赤で、それがアルファロメオの赤になり、黄色といえばレモンの黄色で、それがフェラーリの黄色になるのです。コートダジュールの海の青さはシャガールの青でした。感情をはっきり表現する外向的な性格もまた地中海世界の産物です。

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 ひるがえってドイツの森を歩いていると、頭上を覆う深い緑も足元に積もる柔らかい枯れ葉も、それはクリムトの緑であり茶色です。抽象画でもクレーとミロの色彩の違いはまさにアルプスの屏風の北側と南側の違いです。フェルメールの絵にはいつも窓からか弱い日の光が差し込んでいます。

 そのようなか弱い光の下ではひとは内向的にならざるをえないのでしょう。感情をストレートに表現するというよりは、なにか精神の奥深く奥深くへと向かっていきます。背日性の植物が路地の奥の方へ伸びていくように、アルプスの北側の人々は精神の奥底へと突き進んでいくのです。

 神様は日向にも日陰にもおられるのでしょうが、ゲルマンの精神はそんなわけで抽象世界のなかに神を求めてしまいます。それは白木の柱をしっかりと組み合わせて天の高みをめざすバッハの音楽であり、寄せては砕ける波を背中に受けながら聴く者を至高の世界へと駆り立てていくベートーベンの音楽です。とくにベートーベンはジェットコースターのようなスリルを経験させながら暗闇の中われわれをドライブしていきます。そしてそのぶん緩楽章の穏やかさはフェルメールの日の光のごとくほのかな暖かみを与えてくれるのです。『運命』や『第九』の例を出さずとも『ヴァルトシュタイン』の出だしを聴くだけで充分です。

 このように考えると、ベートーベンよりも時代は少し前ですが、モーツァルトの音楽はかなりイタリア的といえます。低地地方の血が入っているベートーベンとアルプスの麓で生まれ育ったモーツァルトの違いはここにあるのかもしれません。ウィーンをはじめ、同じドイツ語圏でもアルプスに近いところでは山の裏側のイタリア風の味覚や音楽がたくさん入り込んでいます。

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 いまから20年近く前、恩師の恩師にあたるカール・シュナイダー博士が古英語の叙事詩『ベオウルフ』の朗唱を録音して下さいました。それを聴くと、繰り返しあらわれる子音がうねりとなって聴く者をゲルマン英雄詩の世界へと誘います。ことばも自然がそこに住む人間に与えたものだとすれば、子音で終わる閉音節の多いゲルマン語の頭韻詩はベートーベンの音楽に連なります。これに対してイタリア語は母音で終わる開音節が多く、自ずと聴く耳に明るく響きます。とくに脚韻詩ですと明るい印象が耳に残ります。

 映画『タイタニック』のテーマソングをサラ・ブライトマンがイタリア語で歌っています。セリーヌ・ディオンの英語版オリジナルと聞き比べると同じ曲でもじつに印象が変わるものです。編曲が違うとはいえ、ことばが与える印象はたいへん大きいと思います。人間がもつ世界に対する認識はつねにことばによって裏付けられています。裏付けられているというよりは、認識とことばは表裏一体の関係です。なにごとも鮮明に見える世界では音声を含め、あらゆる表現形式がくっきりし感覚に訴えかけるのに対し、光の少ない世界では精神は緊張と抑制のなかで抽象へと向かいます。認識とはなにかという問題に対しても極限まで考え抜いたのはカントのようなドイツ系の哲学者です。

 ヨーロッパには2つの世界があることは事実です。そしてアルプスの南側へ足を踏み入れると、逆にアルプスの北側のことがよく見えてくるような気がします。

2010年4月23日 (金)

ラテン語はどこの国のことばだった?

 次のうち正しいのはどれでしょうか?

1. フランス

2. ブラジル

3. 古代ローマ

4. 古代ギリシャ

 中学か高校の地理の時間で「アングロ・アメリカ」と「ラテン・アメリカ」ということばが出てきたのを覚えています。もちろん前者は北米を、そして後者は中南米を指すことばです。いうまでもなく、北米は主としてイギリス人、つまりアングロ・サクソンの人々が入植し開拓を進めたのに対し、中南米はスペイン人やポルトガル人というラテン系の言語を話す人々によって開かれていきました。したがって「ラテン・アメリカ」の「ラテン」とは入植者がもともとヨーロッパでもっていた言語文化を指すことばなのですが、一般的には、たとえば「ラテン音楽」ということばがあるように、入植者が住みついた先の文化を指していることが多いようです。しかしもともと「ラテン系」ということばは、ラテン語から枝分かれしたヨーロッパの近代諸語の系統を表し、これらの言語は別名「ロマンス系」とも呼ばれます。

 ではラテン語は元来どこで話されていたことばでしょうか。ラテン語はもともとイタリア半島の中部のラティウムという一地域で話されていたことばです。そしてこれが西ローマ帝国の拡大および西暦313年以来キリスト教の布教とともに徐々に西ヨーロッパに広がりました。このラテン語で使用する文字が、われわれが英語などで用いるアルファベットです。この文字はローマを本拠とするキリスト教とともに西ヨーロッパにもたらされたため、これをローマン・アルファベットあるいはローマ字と呼びます。そして476年に西ローマ帝国が崩壊した後は西ヨーロッパにはさまざまな国が生まれますが、それでもラテン語を使うキリスト教によって結ばれた共同体という姿がヨーロッパの文化的実体となります。

 このようにキリスト教とラテン語は切っても切れない関係にあるのですが、もともと両者の間にはなんの関係もありませんでした。なぜなら、イエス・キリストはユダヤの民ですし、旧約聖書はヘブライ語で書かれ、キリストの死後編まれた新約聖書はギリシャで書かれたからです。そして400年頃にヒエロニムスというひとが二つの聖書をラテン語に訳しました。この時以来ラテン語は「聖なることば」になります。神のことばを表現できると見なされたので「聖なることば」なのです。

 教会のことばとしてのラテン語、あるいは政治や大学で用いられたことばとしてのラテン語は、いわば西ヨーロッパの「公式の」言語であったといえます。一方で西ヨーロッパの人々は日々の生活を「自国語」を用いて暮らしていました。「聖なることば」と対照させるために「俗語」ともいいます。西ヨーロッパで用いられていた「自国語」あるいは「俗語」は大きく分けてゲルマン系の言語とラテン系(ロマンス系)の言語があります。前者はドイツ語、オランダ語、英語、北欧の諸言語です。そして後者が元の西ローマ帝国内でラテン語が次第に「土着化」して生まれた言語のことで、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ル-マニア語、レト・ロマン語などが含まれます。

 西ヨーロッパにはラテン系の言語の地域であれ、ゲルマン系の言語の地域であれ汎ヨーロッパ的な「聖なることば」としてのラテン語と卑俗なことばとしての自国語という対立がどこでも存在していました。近代になって各地の自国語に聖書が訳されるまでは自国語は神のことばを表現する力をもたない卑しいことばであると考えられていたのです。あるいはそのようなフィクションを作ることによって教会の権威が保たれていたのです。

 このような対立を表現する単語があります。西ローマ帝国の大半を継承したのはフランク王国というゲルマン人の国でした。彼らは自分たちから見て「外国の」人々、つまりラテン語を話す人々を*hwalhiskと呼び、これの反対語、つまりラテン語を話す外国人ではない「一般庶民の」人々を*theudiskと呼んだようです。この*theudiskが後にゲルマン人の言語そのものを指すdiutiscを経てdeutsch(ドイチュ)「ドイツ語の」になりました。つまりドイツ語という言語名Deutschは、もともとラテン語を話す「外国人」に対して、母語を話す「普通の」人々を意味していたのです。そしてこの言語名から、後の彼らの国名であるDeutschland(ドイチュラント)が生まれます。

 さらに付け加えると、イングランドに住みつたゲルマン人(アングロ・サクソン人)が、彼らにとっての外国人であるケルト系の人々に対して*hwalhisk「外国の」を用いたのがWelsh「ウェールズ人の」の語源となります。またdeutschということばが低地地方ではdutch(ダッチ)と発音され、それが「オランダの」を表すことばになりました。二つの形容詞「ドイツの」と「オランダの」はもともと同じことばなのです。

 ことばと民族という視点で見ると、ゲルマン系の言語を話す人々は彼らの民族としての歴史と言語の歴史がずっと重なっています。したがってゲルマン系の人々にとっては自国語の個々の単語にはたんなる意味以外のさまざまな「感触」や「思い出」が付着しています。これに対して、ラテン系の言語を話すおおかたの人々は主として元来ゲルマン系の人々です。フランスのもとになっているフランク族はゲルマン系の部族です。つまり彼らの民族の歴史と言語の歴史は途中まで重なっていません。とくにラテン語は中世以来、当時のヨーロッパの共通語でしたからどちらかといえば言語の記号的要素が強まったことばです。いま世界中の人々が英語でコミュニケーションをするように、いわば互いの意思疎通をどうにかするための手段にすぎない、そのような性格のことばです。

 このような自国語系とラテン系のそれぞれの言語文化を日本大和ことば系と漢語系の二つの言語文化と考えることができます。日本語と英語は両方の要素を取り込んでいるため、ことばに関心をもったひとにとってはいわば「一粒で二度おいしい」言語体験ができるのです。

【答え:3

2010年3月16日 (火)

【エクスカージョン 3】 現代イギリス人のメンタリティー、あるいはEbbsfleetの謎

 ロンドン大学で学ぶために2年余りのあいだ滞在したイギリス。論文作成が目的であったため、私にとってその間の毎日は緊張の連続であった。そんななか、ほんの数日だけ机を離れて気分転換をできる日々もあった。それは専攻する英語史ゆかりの土地を巡ったときのことである。

 いまから思えば、ケント州の南東端に位置するラムスゲート(Ramsgate)という小さな港町は私と運命の絆(fatalis catena)で結ばれていたのかもしれない。はじめてイギリスを訪ねたのは17年前のDiana妃の婚礼当日。2週間のあいだラムスゲートのサネット(Thanet)地区に滞在した。しかし当時高校生だった私は、まさにこの地がイギリス発祥の地であるなどとは思いも寄らなかった。

 2度目のラムスゲート訪問が実現したのは同じくケント州のメイドストーン(Maidstone)にある小さな宿からのドライブの途上で、カンタベリー(Canterbury)から延びるB級道路をサンドウィッチ(Sandwich)の海岸へ向かい、まさに車がサネットに入ったときのこと。予期せぬ形で私の興奮は最高潮へと達した。なぜならばロード・マップが示していたのはそこがエッブスフリート(Ebbsfleet)という地点で、このあたりには史跡が存在するというからだ。

 地図には書ききれない細い農道を探し回ったあげく、ついに発見したのは畑の真ん中に建つケルト風の十字架であった。パネルの解説によれば、これはSt Augustine’s Cross(写真右、筆者撮影)と呼ばれ、Cross_2

597年の聖アウグスティヌス(St Augustine)のイギリス上陸を記念して19世紀に建てられたものだという。しかし私はどこか腑に落ちない気持ちにおそわれた。エッブスフリートというのはアングロ・サクソン年代記の449年の章にYpwines fleotと記されている地名で、この地にイギリス肇国の祖ヘンギスト(Hengist)とホルサ(Horsa)が上陸したと記録されている。17世紀のゲルマン狂徒リチャード・ヴァーステガン(R. Verstegan)の書にあるヘンギストとホルサ上陸の図(Richard Verstegan, A Restitution of Decayed Intelligence (Antwerp: Robert Burney, 1605)より)は当時の想像の産物であるとしても、エッブスフリートこそアングロ・サクソン人の国、イギリス発祥の地なのである。Hengist_horsa

 この国にキリスト教を布教した聖アウグスティヌスを記念するのはもちろん意味あることである。しかし現代のイギリス人は、それより100年以上も前に祖先がはじめてこの地に上陸したことをどうして記さないのであろうか。

 このあたりの彼らのメンタリティーは現地で古英語研究をするうちに徐々にわかってきたような気がする。普通のイギリス人にとっての国史は、かの国がキリスト教国になったときから始まるのだ。なるほど年代記はキリスト教が少なくとも王族のあいだに広まったとされる7世紀末以前のことも伝えてくれる。しかし異教の時代などはかぎりなくフィクションに近い物語なのかもしれない。異教時代に関心を抱くのは、考古学者か文献学者のほかにおらず、その文献学者もキリスト教文学としての古英語文学を研究する大多数の学者を除いたほんのわずかな研究者のみである。アングロ・サクソン時代の王で一般の記憶に残っているのは民家でパンを真っ黒焦げにさせたアルフレッド大王(Alfred the Great)のみであろう。

 続いて立ち寄ったバトル(Battle)の町は1066年にアングロ・サクソン王朝最後の王ハロルド(Harold)がウィリアム征服王(William the Conqueror)率いるノルマン軍の矢に目を射られた末、剣で斬殺された町。一般にはヘイスティングス(Hastings)の戦いと呼ばれているが、実際に戦が繰り広げられたのはヘイスティングスよりも10キロほど内陸に入ったバトルの町。のちにウィリアム征服王が建立した僧院の廃墟の向こうには強者どもが散っていった野原が広がる。Battle (写真、Battle Abbeyの裏手アングロ・サクソン軍とノルマン軍の合戦の場(筆者撮影))

ここではかの有名なバイユー・タペストリーに描かれたハロルドの最期の場面がTシャツなどに姿を変えてたくさん売られている。フランスからの征服者に国王が殺され、アングロ・サクソンの王朝が途絶えたというのに、いまのイギリス人はどこか能天気な気がしてならない。(写真、Battle Abbeyにあるハロルド王最期の地を示す碑(筆者撮影)Harold

 アングロ・サクソンの血統には隔絶感を抱き、ゲルマンの異教には無関心なイギリス人。これが「英語の本場」イギリスで古英語の研究に携わった私の印象である。

(本文はサウンディングズ英語英文学会編、『サウンディングズ・ニューズレター』No. 40, Nov. 30, 1999に掲載されたものにタイトルを改変し、若干の修正を施したたものである。)

2010年3月 4日 (木)

【語源エッセイ 2】 like、lie、lay、logの語源

 シルケボー警察の捜査官はその電話を切ったとき、それは単純な誘拐殺人事件ではないと悟った。とはいえ数日前にコペンハーゲンから出てきた少年がユトランド半島で姿を消していたのは事実である。

 ゲルマンの神、トールの森を意味するトールン(Tollund)の集落に住むヴィッゴとエミルのヘイゴール兄弟、それからヴィッゴの妻のグレーテと彼女の連れ子のヨンはその週末も一家総出で泥炭を切り出しに家から数キロ先の沼地へやってきた。泥炭は乾燥させると囲炉裏での使用に最適な燃料だった。とろとろとゆっくり燃え続けるからだ。そしてなによりも、山のないデンマークでは地面を切り出すだけで手に入るこの燃料は重宝したのだ。むろんずっしり重い泥をレンガ状に切り、それを荷車に乗せるのはそれなりに重労働だったが。

 最初に泥のなかの異物に気づいたのはグレーテで、よく見てみると埋められてまだ日がたっていない人間の頭部がさながら穏やかに眠っているように目を閉じていたのである。195056日のことであった。

 ヘイゴール一家はなにを逡巡したのか、このことをすぐに通報しなかった。そして二日後になってようやくシルケボー警察に電話したのである。捜査官が現場にやってきたとき、たしかに少年は地表から約2メートル半のところに横たわっていた。しかし捜査官が確認したかったのは周囲の状況であった。もしもこの少年がここに埋められたとすれば、周囲に穴を掘った形跡があるはずだ。しかしあたり一帯にはヘイゴール一家が泥炭を整然と直方体に切り出していった跡のほかには地面の乱れはなにひとつなかった。捜査官はそこで思った。これはやはり自分たちの管轄ではなく、念のために同行してもらった教授にバトンタッチすべきであると。

 シルケボー博物館のグロッブ教授は直後の調査により、この遺体は約2000年前のもので、おそらく生け贄として埋められたのであろうと予想した。この湿地遺体はその後、ヘイゴール一家が暮らしていた集落の名前をとって、トールンマンと呼ばれている。また、湿地遺体のことを英語ではmoormanあるはbog body、ドイツ語ではMoorleicheという。

Moorleiche

* * *

 「好む」を意味するlikeの語源は、トールンマンの歴史と同様に不思議なものです。likeの使い方でやっかいなことは、いまでこそこの単語には人間を主語に立てることができますが、昔はそれができないということした。「物がひとの気に入る」という言い方をしたのです。これは同じく「気に入る」を表すフランス語plaire(英語のpleaseに相当する)やドイツ語のgefallenの使い方と同じです。

 しかしこのやっかいなところがむしろ語源を考えるヒントを与えてくれます。likeは古英語ではlicianと綴りますが、これには名詞形があって、licは「体」、またその形容詞形もlicで「~と同じ体をもった」をいう意味です。これが現代英語の形容詞like「~に似ている、~と同じ」になります。副詞や形容詞を作る語尾の-lylicが縮まったものです。friendlyは語源的にはfriend-likeで「友達のような」という意味になります。ドイツ語では現在でも「体」を意味することばにLeicheがありますが、これは古英語のlicにあたります。

 では、どうして「体」と「好む」は関係があるのでしょうか。まず、形容詞の「~に似ている」から考えるとわかりやすいと思います。日本語に「体裁」ということばがありますが、「ABに似ている」ということは、「ABの体裁をしている」とほぼ同じことです。あるいは「自然体」とか「死に体」の「体」のことです。これを英語では“A is like B”というのです。この形容詞のlikeはドイツ語ではgleichに相当します。gleichとはge-leichのことです。gleichは副詞で「ただちに」という意味ももっていますが、これはAの動作とBの動作の時間が「同じ」ことを指します。

 次に動詞の「好む」ですが、「ABに似ている」ということは、「ABに合っている」、つまり「BAの気に入る」ということになります。これは服を選ぶときを想像すればもっともわかりやすいと思います。「この服は私の体にぴったり合う」から「私はこの服を気に入る」というふうになります。動詞のlikeの基本的な意味はあくまでも「~の体に合う」ですから自ずと主語はその人ではなくて物になってしまうのです。「物がその人(の体)にぴったり合う」ということは「その人はそのものを気に入る」ということです。

 辞書を見ると動詞のlikeと形容詞のlikeは別々の見出し語になっていて、しかも一見したところ両者の意味は違いすぎているので、お互いに関係があるとは思えないのですが、語源を調べるとじつは両者は同じことばの動詞形と形容詞形であることがわかります。

 現代の英語では “You like this suit.”のように人間を主語にしますが、もとは “This suit likes you.”といいました。このように主語と目的語がひっくり返ってしまったひとつの原因としては、英語の二人称代名詞は主格と目的格が同じ形のyouであることがあげられます。

 さて、likeの語源をさらにたどると印欧祖語の語根*lik-「体」に行き着きます。ここで面白いのはドイツ語のLeiche「体」は同じ体でも「死体」を意味します。生きているひとの「体」はKörperといいます。それで、ヨーロッパ北西部を中心にこれまで1000体ばかり発見されている湿地遺体はドイツ語ではMoorleicheといいます。トールンマンのみならず遺体は横たわっているものですが、「横たわる」を意味するlieや他動詞形のlayはそれぞれ古英語ではlicganlecganといい、印欧祖語の*legh-「横たわる」にさかのぼります。ここで予想されるのは*lik-「体」も*legh-も元来は同じ語根で、子音のlk/gの組み合わせが「横たわる」さまを意味するのではないかということです。「丸太」のlogは切り倒された木のことですが、これも同じ語源であろうと思われます。すべて「ごろごろ」横たわるものです。

 トールンマンはその後の詳しい調査で、泥炭層は有機物を分解するバクテリアが増殖しない環境であること、紀元前400年ぐらいの鉄器時代初期の人物で身長約161センチ、年齢は40才ぐらいであること、最後に食べたものは穀類のお粥であること、首を吊って殺されたであろうことなどがわかっています。しかしMoorleicheということばからlikelielaylogなどの語源もリアルにわかるヒントを与えてくれるのです。

2010年3月 2日 (火)

【エクスカージョン 2】 彼らは何故にこの島へ、あるいは古くて新しいアイスランド

 それはオークニー諸島だったかもしれないしシェトランド諸島だったかもしれない。けれど、少なくともグリーンランドが発見されるまでは。アイスランドもUltima Thuleのひとつであったことはまちがいない。

 アイスランドへはいまならオスロから約3時間の空の旅。英語の語源をたどっているとしばしば出くわす古ノルド語はかつてヴァイキングが話していたことばである。ひとことでヴァイキングといっても、この島へやってきたのはノルウェー人だけでなくスコットランド人なども含まれていたようだ。それにしても彼らは何故にスカンジナヴィアから北の果てのアイスランドまで移動したのか。イベリア半島から地中海へ入れば雲ひとつない空の下、紺碧の海が広がるのに、彼らは何故にこの島へやってきたのか。ナポリやシチリアに住みついた同胞もいるというのに。それにしてもなぜ北極圏にほど近い無人島へ。

 分厚い雲を突き抜けて飛行機が着陸態勢に入ったとき、窓の下を見て我が目を疑った。こんな土地があるものか。B737ではウサギが餅つくあの星へ行けるはずもないのはわかっていたけれど、それでも思わずにはいられない、ここは月面ではないのか。

Iceland1_2 

 ケフラヴィク空港からレイキャヴィクまでの道のりは、あたり一面冷えて固まった黒い溶岩とその表面をかすかに覆うコケの緑。山といっても巨大な土塊で、ほとんど樹木はない。そのような大地と鉛色の空をつなぐかのように、ところどころ地面から煙が立ち上る。古ノルド語の詩に赤く燃えるマグマを思わせる行があったのを覚えている。あれは民族の遠い記憶ではない。あれは足元のリアリティーなのだ。レイキャヴィクという町の名もReykja-はドイツ語のRauchにあたるから「煙立つ入り江」という意味である。

Iceland2 

 その地理的要因もあって、この島がキリスト教に改宗するのは遅く、10世紀の末である。それまでの間、ゲルマンの異教が根付いていたはずである。火山から吹き出すマグマ、水蒸気と熱湯、巨大な滝、地面の割れ目、この島ほど神々の存在をリアルに感じされるところもなかったであろう。

 この島は、地質年齢でいえばまだ若い。若さの秘密は地面の下。ちょうどこの島の地下深くでユーラシア大陸プレートと北米大陸プレートが生成され、上昇し、東西に分かれゆくという。おかげでこの島は東西方向に年間で約1センチずつ広がっているのである。プレートの境界が断層となって地表に現れ出ているところは世界でたった三カ所だそうで、そのひとつがアイスランドを真二つに分けるgjár、すなわちgapのことである。とにかくこの島では今なお大地が生成されている。大地が若い所以である。

Iceland4  小川が流れる絵のように美しい谷間に巨大な断層が壁をなしている。この壁の前で話すと声が反響して遠くまで伝わることを10世紀初めの人々は知っていた。ここが民会(þing)発祥の地、シングヴェルリル(Þingvellir, “thing valley”)である。おそらく夏の間の一時期に、島の津々浦々から人々が集まり、各種案件(þing)を相談していったのであろう。レイキャヴィクにある国会はいまもAlþing (the whole assembly)という。

 もうひとつ英語に入っていることばにふれておこう。アイスランドには間欠泉も多いが、そのうちのひとつGeysirが一般名詞として英語に入ったのがgeyserである。アイスランド語から入った数少ないことばである。

Iceland3 

 若い大地の上に残っていることばは古い。なぜならば、ヴァイキングがこの島に移住しはじめたのは9世紀末からであるが、それ以来この島が孤島であるがゆえに他国との接触が少なく、外的要因による言語変化をあまり被っていないという。したがって、ルーン文字に由来するthorn (þ)ash (æ)の使用に象徴されるように、書かれたアイスランド語を見ていると、古英語に目が慣れた人間には少しは類推がきくところが面白い。(さらに面白かったのは、アイスランドの帰途、コペンハーゲンに立ち寄ったところ、アイスランド語の印象が残る目にはデンマーク語はかぎりなく英語に近く見えた。)

 それにしてもゲルマン語の純度が高いアイスランド語とロマンス系の語彙を大量に採り入れた英語のたどった道のりは対照的であるが、なにかただならぬ因縁をも感じさせる。英語をクレオール化してゲルマン的な特徴を薄めてしまったのはアルフレッド大王たちを悩ませたデーン人であったし、その後ノルマンディーからやってきた征服者はフランス化したヴァイキングであった。彼らがもたらしたおびただしい数のフランス語のおかげで本来語が駆逐されてしまった。その一方で、英語をゲルマン語らしくなくさせてしまったヴァイキングのことばはいまもなおアイスランドに1000年前とほとんど同じ姿で残っている。

 レイキャヴィクの町はどこかヨーロッパの町とはちがう。石畳に覆われた旧市街がないのである。ほとんどの建物は戦後になってから建築資材を海外から運び入れて建てたものである。どちらかといえばレイキャヴィクはヨーロッパの町というよりはアメリカの田舎町を思わせる。そんな町に今日も群れなして歩くのはアメリカ人。首からパスポート入れを提げたおばあちゃんたちが陽気に大声でしゃべりながら先祖の足跡をたどっている。ここはアメリカにもっとも近いヨーロッパなのだ。

 ヴァイキングはさらに西進した。北西300キロ先のグリーンランドへ到達したとき、アイスランドはUltima ThuleからThuleへと変わった。1000年頃にはグリーンランドを経由してカナダのニュー・ファンドランドあたりまで達していたという。コロンブスが新大陸を「発見」するよりも500年も前のこと。

 ヴァイキングは何故に移動を繰り返すのか。魂の衝動に突き動かされたのであろうか。この古くて新しい島で自然に圧倒されながら、そんなことを考える4日間であった。

 月面へ着陸したニール・アームストロングは先祖にドイツ人とスコットランド人、そしてアイルランド人の血が混ざっているということを、知ったのはドイツへ戻ってからのことであった。

2010年2月25日 (木)

パソコンのマウスの複数形は?

 次のうち誤りはどれでしょうか?

1. mice

2. mouses

3. mouse(単複同形)

4. mouse devices

 英文法を学んでいて、「これは例外です」というような説明をされた記憶があると思います。たとえば名詞の複数形の作り方で-sを付けない形とか、仮定法で主語がIなのにbe動詞がwereになる規則とかいろいろあります。動詞の「不規則」変化という言い方もどことなく例外扱いのような響きがあります。

 しかし「例外」という説明は、あくまでも中学生たちにとって目の前の現象を飲み込みやすくするための一つの弁法であって、本当は例外でもなんでもありません。ここでは-sを付ける代わりに不規則な変化をする名詞の複数形について説明しましょう。

 このパターンにあてはまる名詞にはfoot/feetgoose/geeseman/menmouse/miceなどが思い浮かびます。これらの変化形で共通しているのは語尾に-sが付かずに、真ん中の母音が変化しているところです。このような母音の変化が起こるのはある原理に則ったものです。footを例にとると、英語やドイツ語などのゲルマン諸語が分かれる前のゲルマン祖語の段階で次のような変化が起こりました。

ゲルマン祖語*fot + 複数形を表す-iz *fetiz 古英語fet →現代英語feet

 つまりゲルマン祖語の時代に複数形を表す-izという語尾がついたところ、-iziの音がfotoに影響を与えてoeに変わってしまい、その後に語尾の-izが消滅したのです。そうすると母音だけが変化したように見えてしまいます。どうしてこのように母音が変わるのかといえば、fotizよりもfetizの方が言いやすいからです。ただそれだけの理由です。

 語尾に付いたieのおかげでその前にある母音が変化する現象をウムラウトと呼びます。これはドイツ語ではいまも普通に起こっている現象で、ドイツ語ではウムラウトが起こった母音にはäöüのように表記します。英語のfootmanはそれぞれドイツ語ではMann/MännerFuss/Füsseになります。

 ウムラウトというと特殊な現象のような印象を与えますが、じつは日本語でも同じようなことが頻繁に起こっています。たとえば砕けた言い方で「うまい」が「うめー」になるのはumaiiが直前のaに影響を与えて音をずらせるからです。ドイツ風に書けば「うめー」umaiumäになるのです。ほかにも、「だいく(大工)」が「でーく」、「胡散臭い」が「胡散くせー」などたくさんあります。日本語を例にとるとウムラウトは言いやすくするために生じるということが実感できると思います。

 さて、パソコンのデバイスであるマウスですが、これの複数形をどうするのかというのはかなり議論されているようです。mouseですからこれまでの規則にしたがってmiceと書くひともいるのですが、これではなんだか動物のネズミのような気がしてかえってしっくりこないと感じるひともいます。そこでmousesと書くひとが多いようです。あるいは文法を逸脱しないための工夫からかmouse devicesという言い方も考案されています。

 mousesにしたいという気持ちは、もとの名詞が本来の意味から離れているときには規則変化にしたがうという言語運用に際しての人間の心理現象によるものです。だとすれば「広島カープス」でもいいことになります。これについてかつて議論があったような気がします。

 ちなみにマウスの感度を表す単位はミッキーというそうですが、これも心理現象によるもので、それを連想(association)といいます。遊び心のある連想です。

【答え:3

2010年1月29日 (金)

【エクスカージョン 1】 川一本隔てただけで、あるいはストラスブールは理不尽な町

 ストラスブールの語源にふれたついでにこの町を訪ねたときの「理不尽さ」について記してみます。

 いまから10年ほど前にドイツのクリスマスマーケットのすばらしさに気づかせてくれたドイツの老婦人が今回、ストラスブールのクリスマスマーケットもすばらしいと勧めて下さいました。それまでストラスブールを訪ねる予定はなかったのですが、お仕事の息抜きにドイツを出てみることにしました。なにせライン川を隔てた隣国なのですから行かない手はありません!

Strasbourg2_4 

 ストラスブールはアルザス地方の町。Alsace(ドイツ語でElsass)は英語で「ほかの」を意味するelse (Cannonball AdderleySometin’ Elseelse) と同語源で、「べつの場所」すなわち「向こう側」を意味します。どちらから見て向こう側かといえば、この地名はゲルマン系の単語であることからして、やはりドイツ側から見て「ライン川の向こう側」という意味なのでしょう。

 またアルザスといえば、フランスの作家ドーデーの『最後の授業』を思い出します。19世紀後半の普仏戦争でドイツが勝った結果、アルザス・ロレーヌ地方がドイツに併合され、そのために村の小学校では最後の「国語」の授業が行われる・・・というお話でした。ところがこの「国語」とは何語なのか、という問題はあまり気づかれたことがないようです。ものの本によれば、現地でいう「国語」とはフランス語ではなくアルザス語であったそうです。だとすれば、アルザス語はドイツ語の方言ですから、戦争の結果、「国語」がドイツ語の方言からドイツ語へと変わったというのが実体のようです。もちろん人々の国籍はフランスからドイツへと変わるのですが。

 以上のような予備知識があったもので、アルザスとはどんなところだろうと想像をふくらませながらシュトゥットガルトからパリ行きのTGVに乗り込みました。近年、TGVの東ヨーロッパ線が開通し、TGVはパリ東駅からストラスブール経由で南ドイツを走り抜け、ミュンヘンまで乗り入れているのです。東ヨーロッパ線といっても、なにもルーマニアやブルガリアまで乗り入れているわけではありません。

 ふだんドイツ鉄道(DB)のインターシティーエクスプレス(ICE)に乗り慣れているためか、フランス国鉄(SNCF)TGVは車両がいくぶん狭いものの、内装などがなるほどおしゃれにできていると感心していたところへ車内放送が始まりました。耳を澄ませば、フランス人とおぼしき車掌さんがドイツ語で案内しているではありませんか。私にとってそれはありがたいのですが、そのドイツ語がなんともフニャフニャしていて、思わずほほえんでしまいました。

 その昔、桂文珍師が京都と大阪を結ぶ阪急電車と京阪電車の車内放送の比較なるものを、巧みな誇張を織り交ぜて披露しておられましたが、京阪の車掌さんの話しぶりが少し鼻にかかるだけでなく、Wがかってもいるその特徴をもののみごとに描いていて、爆笑したことを思い出しました。TGVも「京阪」状態でした。30年以上も前のことなのに、くだらぬことは覚えているものです。

 さて、列車はすでにカールスルーエを過ぎて、まもなくライン川を渡ります。川の向こうはおフランス。「ふらんすへ行きたし・・・。」はて、どんなにか美しい風景が・・・などと予想していたら、実際はちょっとした工業地帯にかかる薄汚れた鉄橋で、その向こうにはフランスの三色旗がはためいているだけでした。これでは和泉多摩川の河原の方がまだしもきれいだなどと思いながら、気がつけば「ふらんす」に入っていたのです。

 ストラスブールの駅に降りてまず目に飛び込んできたのは駅構内にあるパン屋さん。なんとPAULではありませんか!これならニコタマの高島屋でしょっちゅう買っているし、北千住のマルイにも入っている、などと思うと、なんだか溜息が出たりして、やれやれという感じでした。日本という国はなんという国なんでしょう。

 しかしシェンゲン・エリア内での移動はいたって簡単。パスポートコントールはないし、おまけに通貨は共通のユーロですから外国へ来たという感じがまったくしません。それでもせっかくフランスへ来たものだから、フランスを感じてみたいという妙な欲求がわき起こり、駅前で見つけたクリスマスマーケット(マルシュ・ドゥ・ノエル)特設案内所でマーケットの地図をもらう際に、「エディシオン・アルマーニュ オーダー エディシオン・アングレーズ ビッテ」といってしまった途端、顔面が赤くなるのに気づきました。できないことはやってはいけません。「オーダー」と「ビッテ」はドイツ語でした!怪訝な顔をしたお姉さんから地図を受け取り、最後には「サンキュー」なんて忘れかけていた英語が出たりして、まるでわけのわからぬストラスブール入りでした。言語混乱もいいところです。「国語」の授業を受けたいところでした。しかし、川一本隔てただけで、日本では味わえない理不尽さ。川崎市に行くのとはえらいちがいです。

 クリスマスマーケットは町中のいくつかの広場で開催されていますが、やはり中心となるのはノートルダム大聖堂前の広場。ドイツ風の木組みの家を背景に所狭しと屋台が建ち並んでいました。これで焼きソーセージ(ブラート・ブルスト)さえ売っていれば、まるでドイツです。そういえば、ちょうどときを同じくしてストラスブールの「マルシュ・ドゥ・ノエル」が東京国際フォーラムで再現されているとのこと。目の前には世界各国からやってきた観光客があふれかえっているのに、東京へはこのマルシュが出向くなんて・・・。日本という国はなんという国なんでしょう。

Strasbourg1_2 

 そんなことを考えているうちにお腹が減ってきたもので、レストランへ入りました。メニューを見て、一瞬あせってしまいました。フランス語ばっかり・・・、と思いきや下の方にドイツ語が小さな文字で書かれているではありませんか(英語はなし)。さすがはアルザス!

 せっかくなのでアルザス郷土料理をいただきましょう。お料理の名前はよく聞くと納得するものが多く、シュークールト(Choucroute)はザウアー・クラウト(Sauerkraut)のことですし、ベックオフ(Bäkeoffe)Bäkersofen(パン屋のオーブン)、またケーキのクグロフ(Kugelhopf)はボール(Kugel)のような形をした頭巾(Hopf)に煮た焼き型を使ったブリオッシュです。いずれの名前もさすがにドイツ語よりも柔らかい響きです。

 ということで注文したのがベックオフとアルザス・ワインのゲヴュルツトラミネール(Gewürztraminer)。ベックオフは厚手の陶器でできたお鍋の中でビーフ、ポーク、ラムのお肉とスライスしたポテトを白ワインとともに一晩煮込んだもの。一見したところ、ドイツでもありそうだと思ったのですが、これがなんと塩加減がちがう、ドイツとは。それからゲヴュルツトラミネールの強いアロマ。濃厚なグレープフルーツのアロマが口いっぱいに広がります。名前の通り、たいへんスパイシー(gewürzig)でした。それにしても川一本隔てただけでどうしてこんなにお味がちがうのか。なんとも理不尽な現実でした。

 ワインがすっかりまわり、お腹もいっぱいになったので早めにホテルへ戻ります。あとで思い出したのだけれど、アルザスは腕利きのパティシエをたくさん輩出しているところ。あのピエール・エルメ氏もそうでした。キャフェに立ち寄っておけばよかった・・・、などと思ってもそれは後の祭りでした。

2010年1月28日 (木)

【語源エッセイ 1】すべての語源は音象徴に通ず?:streetの語源(究極編)

 多くの語源辞典ではstreetの語源はラテン語のstrataであるという記述で終わっています。しかしここではもう一歩踏み込んで、strataがどうして「舗装された」という意味なのかについて仮説を立ててみたいと思います。

 印欧祖語の語根*ster-からは多くの単語が派生していますが、strataもそのひとつです。*ster-から出た単語の多くは意味内容から大きく分けると、「動じないもの」と「ばらまく」のグループに分けられます。通常、strataは後者の仲間だと考えられています。なぜならば、舗装するというのは、砂利や小石を「ばらまいて」踏み固めるイメージがあるからです。

 しかし私はこれは間違いだと思うようになりました。ヨーロッパの旧市街で道路工事に出くわしたときのことです。その様子を観察していると、敷石のひとつひとつがガタガタ動かないようにできるだけぎっしりと詰め合わせるように、じつに整然と並べられていくのです。それもタイル状の薄い石板ではなく、分厚い立方体の石をぎっしり並べます。

Strata1_3 

Strata2_3 

 「すべての道はローマに通ず」というように、ローマ人は広大な帝国中に道路を張り巡らせることによって支配を確立しました。このローマ街道の作り方は、現在のヨーロッパ旧市街の石畳とほとんど同じ作り方だそうです。ローマ街道は砂利や瓦礫、小石、砂を何層にも重ね、表層部には分厚い立方体の石をまるで扇形の文様を描くようにびっしり敷き詰めたといいます。

 strataは個々の敷石が動かないようにぎっしりと敷き詰められた状態をいうのではないでしょうか。したがって、strataは英語のstare「凝視する」やstarve「餓死する」と同様に「動かない」を意味する語根*ster-から派生したと考えるべきだと思います。

 このように考えると語根の*ster-だけでなく、「立つ」という意味が想定されている*sta-も同じ表象性をもっているように思われてきます。この語根から派生しているstand「立つ」、station「駐在する」、stay「滞在する」などはすべて、「動かずにどっしりとその場にいる」という意味です。

 さて、ここで少し視点を変えてみましょう。strataは敷石がぎっしりと敷き詰められた状態でした。これは水平方向の作業です。じつは「動かない」を意味する語根*ster-からはほかにもstructure「構造」、construct「建設する」、destroy「破壊する」など「組み立てる」という意味内容をもった単語がたくさん派生しています。レンガなどをガタつかないようにぎっしりと積み上げる動作であると理解すればよいのです。つまり垂直方向の作業です。

 子供のころに「三匹の子豚」のお話を読んだとき、三番目の子豚が狼から身を守るためにレンガで家を造る絵が描かれていました。この絵を見て、西洋の家は日本とは違う建て方をするものだと感心した記憶があります。実際にヨーロッパの町中で建設現場を通り過ぎると、レンガをひとつひとつ積み重ねている様子を見ることができます。私なんかは日本人ですから、柱がないのに不安を覚えるのですが、西洋の家というのはそういうもののようです。

 語源辞典や語根辞典では語根*ster-*sta-を別々の見出し語として扱っています。しかしここまでの予想から、これらの語根は同一物で、*st-という子音群としてまとめ直したほうがより正しいように思えます。*st-という子音群には「動かない」という表象性があるのです。

 「動かない」という状態は音を伴うものではありませんが、これを人間の言語音でどうにかして言い表そうとします。これを音象徴(sound symbolism)といいます。ここでは視覚の回路から入力された現象を聴覚が介在する回路を経て出力しています。ということは、異なる種類の回路がアクティブになっているのでクロス・モーダルな神経作用が起きているといえそうです。共感覚(synaesthesia)という現象があります。たとえば、砂糖をなめたら緑色が見えるとか、温かいお湯に触ると酸っぱく感じるとか、このような感覚を経験するひとが実際にいます。もしかすると音象徴という人間の言語活動も一種の共感覚なのかもしれません。

 さて、日本語で*st-に相当する言い方はあるでしょうか。おそらくぴったり一致するものはないでしょうが、ここまで数回用いた「ぎっしり」とか「どっしり」という副詞がもっとも近いような気がします。さらには「びっしり」や「じっと」もそうかもしれません。これらの副詞に含まれる「し」や「じ」がとくにその表象性の中心だと思われます。

 つぎに*st-の表象に相当する漢字を探してみましょう。すると「主」とか「柱」「注」、「駐」が思い浮かびます。「主」は家の中で「どっしり」と動かない存在ですし、「柱」がガタつくようでは家はもちません。それに水を注ぐときには手元は「じっと」していなくてはこぼれます。「駐」もひとどころに「じっと」していることです。「主」という漢字の昔の音は「シュ」ではなかったかもしれませんが、それでも「シュ」に近い音であったと思われます。これが印欧祖語の*st-に相当するのだと思います。

 印欧語根の*st-と漢字の「主」が同一物であったということはできませんし、証明することもできません。しかし互いに「相当」するものであると考えるだけで充分ではないでしょうか。なぜならばヒトの脳は印欧語族も古代のシナ人もみんな共通のはずですから、よく似た現象をよく似た音で表象することはありえます。

 人間のすべての単語ではないにしても、突き詰めてみれば音象徴にもとづいて作られた単語はたいへん多いのではないかと思います。

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